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『1本の映画との出会いが人生を大きく動かした!』 〜『阿賀に生きる』阿賀野川遡上計画 平岩史行さん〜

『1本の映画との出会いが人生を大きく動かした!』 〜『阿賀に生きる』阿賀野川遡上計画 平岩史行さん〜  阿賀野川流域で発生した新潟水俣病のドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』の自主上映会を行っている平岩史行さんは、普段は会社員として働いている。阿賀野川河口の新潟市北区で生まれ育った平岩さんは、映画と出会い、「自分の人生が大きく動いた」と笑顔を見せる。自主上映会を行う理由と経緯を追った。

 平岩さんが『阿賀に生きる』に出会ったのは、2012年の夏。新潟市で開催された「水と土の芸術祭」(主催・新潟市)のボランティアとして関わったことが始まりだった。そのファイナルイベントとして、メイン会場の「かもめシアター」で『阿賀に生きる』が上映された。

 「画面に映し出されているのは豊かな自然の中で生きる人々の日常なのに、その奥には、大きな公害を抱えた暮らしがある。自然の中で心豊かに生きることの素晴らしさと、どんな過酷な状況でもしたたかに生きる人間の強さを、この映画が教えてくれた。こんな映画があったなんて、と強い衝撃を受けました。」
 
 映画が訴えかけてくる人間が生きることの素晴らしさとエネルギーを、若い人たちを中心に多くの人に知ってもらいたい。そう考えるようになった平岩さんは、流域で連続上映会を行う、「映画『阿賀に生きる』阿賀野川遡上計画」を実施することに決めた。
2013年9月に河口の新潟市北区松浜を皮切りに、同秋葉区、五泉市などで上映会を行い、今年の5月30日、31日に新潟水俣病の発生が確認された阿賀町鹿瀬で7ケ所目の上映を行った。その日は新潟水俣病公式確認から50年の節目の日だった。

 「『阿賀に生きる』は1992年に制作されました。全国各地で上映されてきましたが、新潟水俣病の原因企業の町である鹿瀬ではされてこなかった。だからこそ、プロジェクトを立ち上げた時から鹿瀬で上映したいと考えていました。多くの方の協力を得て、それが節目の日に叶った。自分の人生でこれまで感じたことのない達成感があって、言葉が出ませんでしたね。」

 映画に出会うまでは、「こんなことをするとは思ってもみなかった」と振り返った平岩さん。「映画を広めたい」という想いと、いくつかの偶然が重なり、運命を感じたと話す。

 「自分の地元が阿賀野川河口だったこと、上映会の当日は、直前まで大雨でも必ず晴れたこと。他にも、阿賀野川の全長が210kmで、僕の誕生日が2月10日と同じ数字だったことも。なんとなく始めた芸術祭のボランティアも、この映画に出逢うために何か大きな力が働いたような気がするんです。だから映画は、神様からの授かりものって思ってるんですよ。それか、佐藤真監督が、映画を広める役割として僕を選んでくれたのかなって。」と、平岩さんは真剣ながらも照れくさそうに笑った。

 今後の活動予定は、上映会の継続の他にこんなことを考えている。

 「『阿賀に生きる』制作に関わった有志で作った『阿賀の記憶』という続編があるんですが、更にその続編を作って3部作にしたいと思っています。内容も制作予定も全くの未定ですが。『阿賀に生きる』で阿賀の日常の素晴らしさ伝えることで、新潟水俣病を伝えた。『阿賀の記憶』はその10年後を写し、個人的には時間の経過と失われていった大きなものの存在を感じてとても寂しさを感じた。これから作る物は、生きることの希望を伝えられる物にしたいと考えています。」

 1本の映画との出会いが、平岩さんの人生を大きく動かした。このプロジェクトが今後どのように展開されていくのか、これからも注目したい。

・映画『阿賀に生きる』公式サイト
http://kasamafilm.com/aga/


(2015/8/24  にいがたNPO情報ネット http://www.nponiigata.jp

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