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機動力と継続性。バイクのバランス感覚そのものが活動を物語る― 神奈川レスキューサポート・バイクネットワーク副代表 沢田健介さん 

機動力と継続性。バイクのバランス感覚そのものが活動を物語る― 神奈川レスキューサポート・バイクネットワーク副代表 沢田健介さん  バイクの機動力を生かし、被災地で活躍するボランティア「レスキューサポート・バイクネットワーク」。赤い「+RB」のエンブレムを付けた彼らの姿、中越、中越沖地震等の被災現場で見かけた人も多いのではないだろうか。全国各地に広がるRBのネットワークは全国統一組織ではなく、活動と思いを同じくする各地のライダーたちが都道府県や地域単位で立ち上げている災害救援支援ボランティア団体だ。中越地震を機に神奈川県のRBに所属し、東日本大震災の現場でも活躍した、現在副代表を務める新潟市出身の沢田健介さんにお話を聞いた。

 沢田さんが神奈川RBに所属するきっかけとなったのは、子ども時代に1年間過ごした思い出深い川口町(当時)が大きな被害を受けた時。その様子を知り、じっとしていられず現地に向かったところ、神奈川RBが活動していた。正に運命的な出会いであった。
 当時から神奈川在住のサラリーマンだったが、新潟市出身で長岡技術科学大学に通っていたことから新潟県内の地理やお店には詳しく、雪や風土にも慣れていたことが役立ち、最初の中越地震の支援では、平日は会社に通い、週末などに自家用キャンピングカーへ活動用資機材やバイクを載せて川口町のボランティアセンターに発災2週間後から翌年5月末まで月2回のペースで通っていた。
 そこでは主にボランティアの活動場所までの送迎や資機材の運搬を担当する車両班を担当。春になり車両のニーズが落ち着いてからは大工仕事や雪堀りをはじめ、祭りの手伝いや子供やお年寄りの相手など、多様な経験をした。
 その合間には、幼馴染の実家であるスーパーの仮設店舗に立ち寄ったり、子供の頃にお世話になった保育所の先生と約25年ぶりに再会するという明るい場面もあったが、かつて家族で住んでいたアパートが取り壊される現場に遭遇する悲しい偶然もあった。

 3年後の中越沖地震の際は、発災翌週から柏崎市のボランティアセンターに向かい、他県のRBと連携して活動。救援物資輸送を担当した際には、3年前知り合った全国の多くのボランティアたちとの再会が果たせた。
 そして今年、東日本大震災。4月から横浜からのボランティアバスの後方支援として気仙沼市内でバイク隊を運用。平時はWEBなど情報通信を担当するが、災害現場では機動性の高い従来の無線通信が重要であり、その拠点をいち早く確保した。
 バイク隊本部を置いたのは気仙沼消防本部敷地内だったが、そこのすぐ近くには甚大な津波被害を受けたエリアが広がり、2輪車の機動力を存分に発揮することになった。その結果4輪車では入れない場所でのマスコミや外国の研究者などのスタッフ移動や物資移動に、大いに活用されることなった。

 バイクが趣味だったこと、新潟で生まれ育ったことで沢田さんとRBはつながってきた。彼がこれからもRBの活動を続けていく願いは、との問いに「地元神奈川で大規模災害が発生したときに役に立てる団体でありたいと思っています。派手さは無い団体なのですが地道に地元の自治体や他団体との信頼関係を築いていくことが良い備えになると信じて活動しています。将来は遠地で発生した災害にも出来る範囲で対応し、発災直後だけではなく長期にわたって被災地の人たちのことを忘れずに見守っていける団体になれたら良いと思っています。」と答える。
 また「この、出来る範囲で、というところが個人的にはとても重要だと思っています。神奈川RBのメンバは多くがサラリーマンで家庭を持つ人も多いのですが、自分の本業や家庭を犠牲にすることなく、息の長い活動を継続することが大切だと思うからです。」とも。今年の夏場はなかなか時間が取れず、7月の水害復旧活動も1日しか参加できなかったと悔やむようにも語ったが、それは災害支援が発災直後の即応性と現場の段階的変化に対応できる重要性を合わせて知る人の言葉として聞こえた。

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