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水俣を伝えるのに、これで十分だということはない  〜水俣フォーラム 服部直明さん〜

水俣を伝えるのに、これで十分だということはない  〜水俣フォーラム 服部直明さん〜  8月24日まで、「水俣・新潟展」が新潟市美術館にて開催されている。現場の総括者として、展示物管理やボランティアスタッフのまとめ役を担っているのが、認定NPO法人水俣フォーラム事務局の服部直明さんだ。

 当時、小さな出版社に勤めていた服部さんは、新刊図書の著者講演会に持ち込まれた1枚のチラシを手にした。それは、水俣病発見から40年を期に開催された 「水俣・東京展」のチラシだった。水俣病について詳しい知識があったわけではなかったが、なにか惹かれて足を運んだ。1996年秋、それが水俣との最初の出会いだった。

 「水俣・東京展」を記念して行われた講演会では、胎児性患者5名が壇上に上がったのが印象的だったという。勤め先と水俣展会場が近かったこともあり、仕事帰りに会場に立ち寄って現場の手伝いをするようになった。水俣展を終えて、服部さんは「水俣の経験を広く一般の人たちと共有することが必要」と感じたという。水俣展を1回きりで終わらせず、水俣を伝え続ける事が必要なのではないか?そう感じた有志たちと共に、1997年、水俣フォーラムを立ち上げた。

 水俣という土地とのつながりは、地元の若者と共に水俣の自然を満喫することから始まった。水俣は、海も山も川もある自然豊かな土地、川に飛び込んだり、せり舟レースや元旦のマラソンにも参加した。そんな遊びの中にも、患者の方と知り合う機会が何度かあったという。水俣病患者の施設を訪れた際、たまたまお手洗いに付き添うことがあった。そのとき、水俣病が蝕んだ体の状態を目の当たりし、その時の衝撃はとても強いものだったという。

 1999年、服部さんは出版社を辞め、水俣フォーラムの専従スタッフとして仕事を始めた。「登り調子のことよりも、大多数の人は目を向けない・消えてしまいそうなものに関わることにやりがいを感じるようになった」と、その時の気持ちを語る。初めは遊び感覚で行っていた水俣だったが、徐々に楽しいだけではいけないと感じるようになったという。患者さんを始め、水俣に心を寄せる著名人など関わる人も多くなっていった。特に、患者さんと直接はなしをする機会があるたび、水俣病という大きな困難を乗り越えてきた人間的な強さを感じた。その体験を通じて、服部さんは「自分自身の生き方が変わった」という。

 「水俣展」は、今回で19回目、のべ12万人を動員してきた。その「水俣展」の現場に関わり続けることで、服部さんは1000人を超えるボランティアと出会ってきたという。自らボランティアに参加する人たちは意識が高く、多様なバックグランドを持つため、話し合うなかでいつも触発されるそうだ。水俣展では、固定の人が関わるだけでなく、広く多くの人が関わって共に準備や会場運営を行うことを大事にしている。多様な人を広く受け入れ、一緒に作っていこうという気風は、水俣フォーラムの姿勢であり又、服部さんご自身の姿勢でもある。

 水俣展では、展示を見た人がどう感じたのかを抜きにはできないという。来場者が残した「今後も続けてほしい、もっと多くの人に見てもらいたい」という声が今までの水俣展を続ける力となってきた。展示を続けることによって、展示を見た人からのフィードバックをもらい、それをもとにまた次を考える。その繰り返しだという。ひとりよがりではなく、伝えたものを受け取ってくれる人がいるからこそ継続に意味がある。その言葉には今まで19回、12万人が水俣展に触れてきたその実績と共に強いメッセージがこめられている。

 今後は、水俣を伝える“人”を育てていきたいというのが目標だ。水俣を伝える写真、映像、絵画、文学などの記録は他に類をみないほど量・質ともに高いと感じるという。それらを活かしながら、水俣を研究する力、伝え方を高める人材育成の場が作れたらと構想している。「なにが成功か、失敗かなんてわからない。水俣を伝えるのにこれで十分だということはないのです」と語る服部さんの顔に、着実に、そして誠実に一歩一歩と前進し続ける強く穏やかな意思を感じた。


新潟・水俣展
新潟市美術館にて8月24日(日)まで開催
http://minamata-niigata.blogspot.com/


(2008/8/20 にいがたNPO情報ネット http://www.nponiigata.jp 



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