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子育てしながら、南北朝鮮と向き合う-吉沢佳世子さん-

子育てしながら、南北朝鮮と向き合う-吉沢佳世子さん- 埼玉県出身の吉沢佳世子さんが新潟に来たのは2006年春。研究者である夫が新潟県内の大学に赴任したのがきっかけだ。ご自身も現在は休学中ではあるが、大学院に籍をおき植民地時代の朝鮮の農業や教育・資料研究を行っている。初めての子を出産し、子育てをしながらさまざまな勉強会やイベントを開催している。

吉沢さんが、植民地期朝鮮に興味を持ったのは大学生のときのこと。入学した翌年がちょうど「戦後50年」の節目にあたる1995年で、大学から一歩外に出ると関連イベントが数多く行われていた。
また、1994年が「国際先住民族年」であり、ある集会で出会ったアメリカ先住民族の女性と対話をするうちに、日本社会の足元にある民族問題に無関心であったことに気づいた。それまでは漠然と日本は単一民族国家だと思っていたが、ちょうど大学でアイヌや沖縄に関する講義があって、それまで漠然と抱いていた「歴史」のイメージが一転した。そう考えても、戦争責任や植民地支配という問題についての実感がともなわず、思索するうちに、足もとから問題をとらえようと、日本の民衆の戦争責任について勉強することに決めた。

地域に住んでいる、等身大の人々が戦時中にどうしていたのか―。興味をもった吉沢さんは、大学2年のころから、地元である春日部のお年寄りに戦争中の話を聴いて回るようになる。中国人を殺して回ったことを自慢げに話す傷痍軍人や、敗戦直後に警察からの指令で公文書を燃やした役所の人などの話を聴いた。その中で戦争末期の春日部の農村に朝鮮人の青年たちが大勢来ていたことを知り、朝鮮の農業や教育・資料研究に向かっていった。

その後、論文執筆のかたわら、韓国忠清南道論山に滞在したり、日朝の歴史問題に取り組む活動を経て、「まったく縁がなかった」という新潟へ。その直後に出産したため、ほとんど外出できずに朝から晩まで家にこもっている状態だった。「でもこもっていなければいけない時間というのが、その後の活動に向かわせたというのはあるかもしれない。それに、新潟でこれまで南北朝鮮との交流をしてきた人たちのネットワークを通じて色々な人とつながれた」。

2006年6月に「北東アジアの女性史を学ぶ会(通称:「あるじゃの会」)」を発足。「あるじゃ」とは、ハングルで「知ろう」という意味。新潟を基点に南北朝鮮と日本の関係を歴史的に考える場所として、学習会では特に「慰安婦」の問題を取り上げてきた。「今年の夏に、パネル展の開催を目指しています。でも、一過性ではなく勉強会を通して人がつながっていけるようにしたいと思い、昨年から連続講座という形でやっています。学習会だけだと肩がこるから、朝鮮の食べ物なども織り交ぜて」。

そうしたイベントを開催するときや、自分が何かのイベントに参加するときに、吉沢さんはできるだけ子どもを連れていくようにしている。「子どもがいても、勉強会やイベントなどに参加できるようにしたいと思ったので、何かを主催するときにできるだけ保育サービスをつけるようにしています。そうすると子ども連れのお母さんも来てくれるようになって、中には講師にすごく熱心に質問する方もいる。勉強したくてもできなかった、という人が参加する場をわずかながら実現できたように思います。もっと充実させたいですけどね」。

子どもをおぶりながら活動することで、関わる人の幅が広がった。それまでは研究者などとの関わりが多かったが、子育てをしているお母さんやおばあちゃんなどとも知り合うようになってきた。「赤ちゃんが泣いてうるさがる人もいるけど・・・。赤ちゃんにとっては泣くことが感情表現。社会に理不尽なことってたくさんあるから、きちんと怒ることができるように育てたい。そう思うと、親も社会を広く勉強する必要がありますよね。」

想いの元になっているのは、高校生のころに観たチャップリンの映画だ。「『独裁者』を観てすごく感動したんですよね。あの時代に体制を皮肉った映画をつくれる勇気がすごい」。2002年春には神経の病気を患い、半身不随になるかもしれないという状態になった。結局無事に回復したが、その中で意義のある生き方をしなければならないと思った。「今まで勉強してきたり、先人の方から伺ってきたことがたくさんある。そうしたものを無駄にしてはいけないという使命感はありますね」。

(2008/2/12 にいがたNPO情報ネット http://www.nponiigata.jp

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