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多様な意見や人々が集う場を、映画を通して−井上経久さん−

多様な意見や人々が集う場を、映画を通して−井上経久さん−  新潟市万代にある『新潟・市民映画館シネ・ウインド』で映写技師をしている井上経久さん。映画を通して多様な意見や人々が集う場を作りたいと、今日もフィルムを回す。

 井上さんは東京生まれの東京育ち。1991年に大学を卒業後、インテリア関連の企業に就職し、赴任先として旧安田町に来たのが新潟との縁の始まりだ。「当時の安田町にはコンビニもなくて、実家の辺りとはあまりにも環境が違っていたのでびっくりしました。でも会社の同僚や地域の人に何かにつけ良くしていただき、新潟は好きだと思うようになりました。それが今でも新潟に住んでいる一因でもあります」。

 ちょうどその頃、新潟水俣病患者を中心に据えたドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』が完成した。旧安田町も映画の舞台となっており、井上さんは地元の人たちと一緒に上映会の手伝いなどを行った。
 「昔から映画は嫌いじゃなかったんですけど、新潟に来てからですね、映画をいろいろ観るようになったのは」。映画ファンとして『シネ・ウインド』に通うようになり、ボランティアとして映画のチラシや、情報誌『月刊ウインド』の編集にも携わった。

 1998年には会社を退職し、2年ほどユーラシア大陸への一人旅に出発する。「きっかけについては特になくて、なんとなく、ですね。いろいろな映画を観ていろんな国を知りたいと思ったりとか。その中で『アンダーグラウンド』という映画を観て、ユーゴスラビアには行ってみたいというのはありました」。
 中国まで船で渡り、陸伝いに電車やバスで移動しアジアを横断。そのまま東欧経由でスカンジナビアや西欧諸国を巡って、ユーゴスラビアに着いたのは、ちょうどNATOによる空爆が終わり、ミロシェビッチ元大統領が退陣した直後。空爆のつめ跡は残っていたものの、町の様子は思ったよりも普通だったという。「セルビア人っていいイメージがないじゃないですか、悪者みたいな。でも私があった人たちは本当に親切な人たちが多くて。どこの国の人でも変わりがないなというか。そういうのを見聞きしたものというよりも、経験として実感しましたね」。

 2000年の終わりに帰国し、その直後に「シネ・ウインド」で働き始める。「これも代表から働かないかと言われて、はいってそれだけでしたね。まあでも旅行していて、色んな面白いものが世界にはあって、そういうものを紹介できる仕事ですので。まだ新潟では知られていないけど、こういうのも大事だよというのを伝えていける場にいますから」。

 ものをつくる人、それを伝える人、受け取る人。それらは対等な立場であるべきだと、井上さんは考えている。2006年5月に自身が企画した『あんにょん・サヨナラ』の上映会でも、加藤久美子共同監督を招き、上映会の後に交流会を設け、参加者が監督と直接話ができるようにした。「交流会で映画を観た人が、肯定否定を含めて作り手と意見を戦わせる場はあって然るべきだと思いますし、我々のような立場の人間はそういう場をコーディネートする必要があると思います」。
 『あんにょん・サヨナラ』は靖国神社がテーマとなっているドキュメンタリー映画。単純に否定や賛美だけでなく、いろいろな意見があるというのを知ってもらいたかったという。「異論なり、おかしいと思った意見もあってほしいなと思います。いろんなものを観てダメだと思ったら吐いちゃうしかないんですよ。残ったものが血肉になると思うから、映画というのは」。

 2004年にはバリアフリー上映会を企画し、韓国の恋愛映画『ラスト・プレゼント』を上映した。視覚障害者向けに状況音と日本語吹替え音声が流れるヘッドホンを用意。車椅子の参加者のためのスペースを作り、耳の不自由な参加者には普通に字幕で楽しんでもらった。「特定の人たち向けということではなく、多様な人たちが一緒に観られる上映会にしたかったんです。健常者が普通に劇場で観ているような作品を、皆で一緒に観ることができるような」。

 映画を通じて、多様な人とのつながりを作って行きたいと考えている。「私の知り合いのAさんとBさんがいて、お互いに面識はなかったけど、上映会などを通じてつながっていく。そういうのを見ると、すごく嬉しくなりますね」。

(2006/06/20 にいがたNPO情報ネット http://www.nponiigata.jp

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