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まちづくり仙人、被災地を行く−寺島義雄さん−

まちづくり仙人、被災地を行く−寺島義雄さん−  県内で地域づくりの活動を行っている人々の間で、「寺島ワールド」という言葉が口にされることがある。低いトーン、ゆったりとしたテンポの独特の語り口。トレードマークの髭と長めの髪。仙人然とした風貌の中に、子どものような純真さと覚者のような優しさを湛えた目が光る。そして何よりも「寺島ワールド」を特徴付けるのは、型にはめることを嫌い、決して誘導せず、自然に生まれ出るものを大切に慈しむ彼一流の場のコーディネートである。

 大学を卒業後、広告代理店などに約20年勤務。その後有限会社ラポールを設立し、地域づくりのコンサルティングを生業として10年が経つ。その間、県内外で様々な地域づくり計画の策定や住民ワークショップ、人材育成に携わってきた。地域の特産品づくり、新しい地域行事づくり、公園や河川、都市計画等の各種整備事業の検討など、今や、地域づくりに住民の参加や住民が主体となった取り組みは欠かせない。そうした時、住民と行政の仲立ちをしたり、地域に内在するパワーをつないだり引き出したりするのが彼の仕事だ。だから決して、「こうすればいい」と押し付けたり、「こんなのだめ」とせっかく出た芽をつぶしたりすることはしない。そこに参加する人たちが自分たちで気づきを得、まちを育てる力に変えていくのをひたすら待つ。ただ眺めているだけに聞こえるかもしれないが、実際は深い思想と高い技術を必要とする仕事である。

 1999年、中頚城郡大潟町でまちづくりワークショップ実践者の全国交流会が開かれた。イベントそのものが、町の住民や有志による実行委員会が全くの手づくりで作り上げた、3日間の壮大なワークショップである。そこで寺島さんは、実行委員会の代表として采配を揮う立場に。「采配」と言っても、そこは寺島流。動員やお仕着せは一切せず、徹頭徹尾、自発的に生まれてくるものをつなぐ役割に徹した。誰かが筋書きをつくり、その通りに粛々と運営した方がどれほど楽か知れない。しかしそれでは、これからのまちづくりは成り立たない、という哲学が彼の中にはあった。まちづくりにおいては誰もが主役であり、それぞれに他人にはない宝物をもっているのだ。

 2000年、NPO法人まちづくり学校の設立に参画。県内の地域づくりのエキスパートが集うこの組織で、「寺島ワールド」は大きな存在感を持つ。常に原点を見失わず、寛容さと「わくわくすること」を忘れない彼のワークショップに触れた人々は、自らを「隠れ寺島教信者」と呼ぶ。

 そんな寺島さんに、今年、大きな事件が起きた。7月13日に中越地方を襲った豪雨災害である。県内では数十年ぶりの大災害であり、県も、地元自治体も、そしてもちろん住民も、為す術がわからず混乱していた。もちろん、県内のNPOにとってもほとんど初めての体験である。しかしそこはNPO、柔軟さと迅速さを発揮し、県外から入ってきた災害支援のノウハウを持つ団体や、社会福祉協議会、青年会議所などと連携し、いち早く最も被害の大きかった三条市で現地災害ボランティアセンターの立ち上げに動いた。このとき寺島さんも、地元NPOやまちづくり学校のメンバーらと共に現地に入っていた。

 そんな折、信濃川上流の中之島町で2回目の洪水が市街地を襲った。水は大量の土砂を細い路地や家屋の中にまで流し込み、復旧作業の困難さは想像を絶するかに思えた。三条市と違い、中之島町には地元で組織的に動けるNPOがなく、県内外から入ってくる多数のボランティアをコーディネートしなければならないボランティアセンターの設置が遅れていた。

 その混乱のさ中、寺島さんは中之島町に入った。ボランティア受け入れの最初のピークとなった3連休(7/17〜19)に何とか間に合わせてセンターを立ち上げ、その後、機能を縮小して地元社会福祉協議会に引き継ぐまでの2週間、自宅のある新井市から中之島町へ通う日々が続いた。その間、受け入れたボランティアの数は約18,000人。災害という特殊な状況の下、これまでやったことのない形のコーディネートに挑戦し、見事にやり遂げた。もちろん、本人も一人のボランティアとして、である。

 「毎日が学びの連続だった。」寺島さんは、今回の経験をこう振り返る。県内外の様々な組織の混成部隊(しかもメンバーは常に入れ替わる!)として運営されたセンターは、かつてないほどの「協働」の実験場であった。

 寺島さんの中で災害復旧活動はまだ終わっていない。「土砂に覆われて殺風景になってしまったまちに、花を配って歩きたい」と、地元で被災を免れた人々を中心に協力をよびかけ、花やプランター、肥料などを集めている。ここでもやはり、主役は住民。寺島ワールドは、原点を見失っていない。花を配る人、配られる人、それぞれに今回の水害を通して自分たちのまちを見つめなおし、そこから未来の種が芽を出すはずである。今、まちづくり仙人が歩いた被災地は、新しい時代へとつながる地域づくりの扉を開こうとしている。

(2004/8/10 にいがたNPO情報ネット www.nponiigata.jp)

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