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理容ボラ歴20年−金子娃子さん

理容ボラ歴20年−金子娃子さん  新井市で理容業を営む金子娃子さんは、同市内の知的障害者更生施設「にしき園」で20年間理容ボランティアをした経歴をもつ。

 昭和34年に理容師の国家試験に合格し、その後数年間は見習い時代からいた理容店に勤務。結婚を境にしばらくは仕事から遠ざかっていたが、昭和48年、子育ても一段落し、熱心な仏教徒であった嫁ぎ先の父母やその友人達の勧めで「ボランティア」として再びハサミを握ることになる。「理容ボラ」がまだ「散髪奉仕」と呼ばれていた頃の事だ。

 施設での仕事は、「子供たちは散髪中でも落ち着きがなく、少しもじっとしていてくれないし、中には椅子に座ったまま失禁してしまう子も。月一回のボランティアだったけど、とにかく大変だった。」

 それでも20年間続けられたのは、「4人いる自分の子供達が全て健康に育ってくれたことを思い、たまたま障害を持って生まれてきた子供たちに何かできることをしてあげたいという気持ちと、仕事をした後の何とも言えない充実感があったから。」だという。

 金子さんがボランティアをしていた施設から、近年、一人の芸術家が輩出された。ある有名な貼り絵作家である。その子供時代、金子さんは彼の頭も刈っていた。「海に遊びに行ったときサンダルを波にさらわれ、それ以来、持ち物を全てリュックに詰め込んで片時も離さない子だった。寝るときも、髪を切るときもそのリュックを抱えたまま。彼の貼り絵が認められたことを知ったとき、『ああ、あの子だ』と思って胸が熱くなった。」

 昭和53年に自分のお店を開業した後も、義父の介護で忙しくなるまでの15年間そのボランティアは続いた。そして今また、金子さんは、後継ぎの長男・智一さんと一緒に、奇数月の毎週月曜日に近くの老人ホームに通っている。

 そこでの理髪は無償ではないが、通常の半額位の料金を受け取り、その一割を場所代としてホームに置いてくる。「額の多少に関わらず、お代を受け取ればそれは立派なお客様。ちゃんとしたサービスを提供するのはもちろん、自分の都合でお客さんに迷惑がかかるようなことがあってはいけない。」

 さらに、話はこう続く。「今息子に言っているのは、たとえ相手が痴呆の混ざったお年寄りでも、決してボケ老人のような扱いをしてはだめ、ということ。言葉遣いに気をつけて、同じ『人』として接することが大事。」 理容ボラ歴20年+αの経験が光る言葉だ。

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